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 止める事を許されない足で建物の中に入ると、コンクリートに囲まれた受付の無い玄関を通る。行く手にある幅の狭い階段に不安を募らせたが、――引き返そうとは思わなかった。あの怖い眼で睨まれるだけだから。――
 魅姫は時間を掛けて階段を上ると、最上段に立つスーツ姿の男を見つける。振り向いてきた相手に浴びせられた、サングラス越しの刺すような視線に警戒心を掻き立てられるが、右手で装飾品を外されて露わになった眼は、人の良さそうな暖かさを宿していた。
「登録希望者ですか? 準備は出来ていますか?」
 口を紡いだまま首を縦に振って返事すると、抱えている紙袋の中から生徒手帳を取り出す。差し出された品を受け取ると、相手は手に持っているタブレットPCを操作し、数分の睨めっこの末に俯いていた顔を大げさに振り上げた。
「鴉夢桜魅姫……「進入」履歴有り、本人ですね。付いてきてください」
 荷物を代わりに持つ気遣いはされず、男は背を向けて歩き出す。黒塗りの壁に囲まれた通路を延々と連れられると、鉄の厚い扉が開かれている小さな部屋に招かれる。
 殺風景な室内に生活感は無く、壁に締め切ったカーテン付きの窓がある汚れたコンクリートの床の上に、アルミの会議机とパイプ椅子二脚置かれてる。――応接間というよりはテレビドラマで見た事がある警察所の取り調べ室のようだ。――手振りで「座れ」と指示され、魅姫は紙袋を足下に置いて着席する。
 男は向かい側の椅子に座ると、手を机の上で組んで観察してくる。歳に似合わぬ少女の胸部にやはり興味が行くようだが、柔らかい笑顔をしたまま、穏やかに話し掛けてきた。
「はじめまして、ようこそ帝鷲町へ。私は……「管理」です。この町を統括している団体です。
鴉夢桜さん、早速ですが御答えください。今回の登録の件は、一、この町の人間から聞いた。二、この町の外……「表の世界」と呼ばせていただいております、そちらで誰かから、もしくは何らかの媒体を通じて知った。どちらですか?」
 魅姫は考える素振りをした後に、右手でVサインをする。
「二、表の世界の情報……ですね。かしこまりました。では登録を開始します。よろしくお願いします。
今から私が言う事に、全て承諾していただきます。一つでも迷われるようでしたら「表の世界」にお帰りください。
あなたは今から「表の世界」では行方不明者として扱われます。たとえ家族や友人、恋人等と偶然この町で接触があったとしても、登録後は絶対に他人を貫いてください。家族や恋人等からあなたに関する何かしらの捜索依頼があったとしても、我々はあなたを「他人」だとして処理します。よろしいですか?」
「構いません」
「もしそれを違反した時は、「管理」による然るべき処置をあなたに取らせていただきます。よろしいですか?」
「構いません」
 ――"約束破ったら速攻殺しますけどよろしいですか?”と言えば良いのに。……まあそんな残酷な事は流石に無いだろうけど。――
 その後、延々と項目を言われては口頭で承諾をする。全てを真面に聞いていなかったので印象に残っているのは限られているが、同じような内容を繰り返し言われていた気もするので、途中から相槌だけの応対もしてしまう。
 「表の世界」と繋がる通信機器――携帯電話やパソコン等は、「管理」の許可が無いと使用も所持もしてはいけない事。
 本名(偽名でも可)を名乗って暮らしても良いが、基本的にはこの世界では別のあるモノが名前だとされる事。
 登録者に関しては、この「帝鷲町」以外の土地で暮らしてはいけない事。基本は町から一歩も出てはいけないが特別な場合のみ町外に出る事が可能であり、その際は『管理』の指示に忠実に従う事。
 決してこの町で知った情報を「表の世界」の人間に知らしてはいけない事。
 労働に関しては、「管理」の許可した物しかしてはいけない事。
 殺人・強姦・強盗等の行為、銃火器・ナイフ・その他凶器の所持と使用は、たとえ模造品であっても「表の世界」同様に厳しく裁かれる事。また、「管理」や「表の世界」の人間を洗脳したり誘拐したりする行為も、重罪として扱われる事。
 ――最初はともかく最後に関しては、既に破り放題してる奴が外で待っているが。――余りに膨大な時間を費やされた為に、最後に質問を促された時に「セクハラは罪にならないんですか?」と聞く事を忘れてしまう。
 了承する度に記されていたチェックマークが手の中の書類に刷られた正方形を埋め尽くすと、男は書類を机に置いて再びこちらを見つめてくる。凍ったような時間の感覚と緊張感を解くように相手は笑いかけてくると、足元に置いていた大きな紙袋を指差した。
「全て承諾でよろしいですね?……分かりました。ではその荷物を全てこの中に」
 魅姫は持ってきた紙袋を机の上に置かれた分厚いアルミの箱に入れる。滑り落ちた赤いチェックのスカ―トも合わせて上からガソリンを振りかけられると、手渡されたマッチに火を付け、箱の中に落とす。
 制服、靴、学生証、定期券、財布、通帳、印鑑、子供の頃に撮られた写真……。
 私を私だと証明していた無機物が、目の前で焼き殺される。
 膨大に発生した黒煙が窓を開けられて逃がされ、箱の中に水を入れられて消火される。炭になった今までの自分を憐れむ余裕を与えられず、男は箱を机から撤去すると、入れ替えに小さな鉄の箱を置いた。

「では今から肌に「数字」を記させていただきます。後に書類等の提出は必要ありません。今後はこちらが指示した時、即座に登録した『数字』を見せてください。それがあなたの、この『数字の世界』での唯一の身分証明で名前になりますので」
 小箱が開けられると、中から4桁の回転式の数字が彫られた、黒ずんだ鉄の印鑑が現れる。持ち上げられた印鑑が男の右手に捕まれると、眉一つ動かさない顔で此方を見つめ、左手で壁に置かれている大きな籠を指差した。
「では其処にブラジャーを外して入れてくだ」
「右手甲にお願い出来ますか?!右手の甲!」
 ――どいつもこいつも下心しかないのか、この町の住民は。どうやらセクハラは罪にならないようだ。質問する意味なぞ無かった。――
 緩みそうになっていた気と瞳孔を闇一色に染め、魅姫は右手を甲を上にし、左手で指先を押さえて机の上に置く。男は無礼を詫びる様子を微塵にも見せないまま卓上のアルミの箱に燃料を入れて再び火を付けると、手に持っている印鑑を炙りだす。
 急速に温度を上げられて真っ赤に焼けた鉄の塊が炎の中から出されると、少女の右手の甲の上に固定される。夥しい熱気を浴びて全身に脂汗が滴ると、男は左手を側の壁にある照明のスイッチに触れながら、笑みを絶やさずに口を開いた。
「鴉夢桜さん、コレが最後の質問です。登録を辞めて「表の世界」に帰りますか?」
 ――何コレ、怖い。でも私には帰る場所は無い。もう一度人生をやり直したい。私を要らないと言い続けてくる、あの人達の住む場所には帰りたくない。
 覚悟は決まってる。外であいつが待ってる。……逃げる事は出来ない!――
 魅姫は潤んだ眼を釣り上げて男を睨むと、首を大きく横に振った。
 照明が消され、烙印が麻酔無しで手に押される。感じたことの無い痛みを受けて出した事の無い悲鳴を上げ、充血した目から涙が止めどなく溢れ出る。数秒間の拷問の後に右手から印鑑が外れると、バケツに入れられているだろう氷水に浸けられて照明が再点灯する。
 目の前の卓上に現れたポリバケツから感覚の無くなった右手を引き上げ、激しい動悸と荒れた呼吸を落ち着かせて、魅姫は顔にへばりついた髪の毛をかきあげる。麻痺した水濡れの右手を左手で包み胸の前で暫く労っていると、
 乱暴にドアを開けた「管理」の男は、険しい顔で声を掛けてきた。
「これで登録は終了だ!礼は要らん、出ていけ!」
「?」
「ボケっとするな、さっさと出ていけ!さっき言ってやった事を絶対に怠るなよ、そのアホ面の中の脳味噌に叩き込んでおけ!!」
豹変した相手の態度に戸惑うが、魅姫は顔と声に怖じ気付き、逃げるように部屋を後にして、建物から出る。感覚の無くなった右手を庇いながら人気の無い道を歩いていると、狭い路地の途中でトレンチコートのポケットに手を突っ込んで塀に寄りかかっている璃音を見つける。何もせずに待ち続けていたのだろうか、足元に積まれた煙草の山を踏み崩した相手は気付いた途端に機嫌の悪そうに目を釣り上げると、無言で背を向けて手で「付いてこい」と合図してくる。
 魅姫は胸から右手を離し、甲に彫られた5637の数字を見つめる。赤くなった肌の周囲に黒く焼き付けられた町民の証を眺めていたが、一度だけの深呼吸をして後ろを振り返り、登録場所が見えなくなった事を確認すると、
 顔の位置にある璃音の肩を叩き、承諾を受けるなり右手の手首を左手で掴む。左手の爪を立てると甲の溶けた肌色のゴム手袋が右手から取り外され、焼き付けられたものと同じ4桁の数字が彫られた耐熱プレートが外される。薄く巻かれた包帯が解かれると、少女の本物の右手の甲に、もう一つの数字が現れた。
"0000"
 登録会の前日にアパートで璃音に同じ方法で施してもらった数字である。彼の指示で細工をしたのだが、烙印で押される数字がランダムである事と、押す場所を「管理」が一切触らない事、押す時に照明が消される事を彼が知っていなかったら、この細工は出来なかったのだろう。
 何故彼がそのような情報を知っているのか。それ以上に何故この数字にしないといけなかったのか。新参者の私にはまったく理解出来なかった。

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